定期的にやってくる、「潜在意識」や「悟り」関連記事です。笑
話の内容的には、↑以前の記事とそう大差ないですが。笑
本日は今までの記事で、ちょこちょこ出てくる「悟り」について、悟り悟り言ってるけど、結局「悟ること」って一体何なのよ。「ノンデュアリティ(非二元)」て何それおいしいの?などについて、自分の研究の整理として記事にしていたら恐ろしく長くなってしまったので、元は1つの記事で書いてたんですが3回に分けました。笑
通常だとリフレッシュがてら占い記事とか挟みつつ書いてるのですが、なので今回ちょっと3連続でこういう話題ばっかですがあしからず。。笑
いつもにまして、かなり精神的なお話なので、わかりにくいかもですが…
共通する基本思想
ノンデュアリティ(非二元)とは?
その前に、このブログで初めて取り扱う言葉「ノンデュアリティ(非二元)」について、何ぞ。
ということから触れます。
簡単に言うと、ノンデュアリティとは、読んで字のごとく、
Non dual(2つ)=非二元=すべてのものは二つと分けられない=すべては1つである。
ということです。
ノンデュアリティ(非二元)という言葉は、普及したのは比較的新しいようですが、調べてみると、元はヒンドゥー教の教え(学派)の不二一元論(アドヴァイタヴァーダ)※からきているようです。古典の教えを現代にも広くわかりやすくした呼び名というか言葉というか。諸説あると思うので、違ったらすみません。
※不二一元論とは、ウパニシャッド哲学の梵我一如思想の徹底したもの。
不二一元論の詳しい説明はここでは省くとして、「ノンデュアリティ」も普段は聞きなれない言葉かもですが、こういう精神的な話の界隈の分野を研究しだしてから近年ではよく見かけるようになりました。
つい前まで「ワンネス」という言葉があったかと思いますが、ほぼ同義だ言われています。
まぁ大事なのは言葉ではなく、この前の記事でまとめた「悟り」と、根元的にはどうやら同じことを言っており、「悟り」も「覚醒」も「目覚め」も「ノンデュアリティ(非二元)」も「ワンネス」も、ただ言葉の違いなだけですよ。ということで。
すべては分離してない
まず基本的なところですが、
この世にみえる様々な相対するもの
自分―他人
内側―外側
主観―客観
男―女
昼―夜
善―悪
陰―陽
プラス―マイナス
ポジティブ(楽観)―ネガティブ(悲観)
などなど。。
たくさんありますが、これらは一見相対して存在しているよう(二元論)にみえますが、本来は分離してなく、元々はすべて1つということが、全ての思想の根本的な部分にあります。
二元論については以前ここでもちょろっと書きましたが、
この世界は、目で見える形でいうと二元論で説明できるものが多いです。
もともとは1つなのに、なんで物事は分かれているようにみえるのか、という話ですが、そこのところは書いてたら長くなってしまったのでまた次回に。。
ちなみに、これらは、禅でも同じような思想があります。
禅の思想(般若心経)
仏教では、全ては何もない「空」であると、ブッタが悟り、それを理解することが悟りとされますが、
その思想を説いた般若心経には
「空即是色(くうそくぜしき) 色即是空(しきそくぜくう)」
というお経の一節があります。
昔はこの文の意味がわからず、ただ字面カッコいいなぁとしか思ってなかったのですが笑
ここでも、この「空」と「色(万物)」は同じものだよと言っています。
全てあるけど、全てない。全てないけど、全てある。
例えば、最初の例でいうと
ネガティブもポジティブもあるけど、
ネガティブもポジティブもない。
みたいな。
これだけ書くと、「は?どーゆーことやねん?!」って感じになるかもなんですが;
そうして、やはりここでも出てくるのはお馴染みの「自我(エゴ)」ちゃんですが笑、もう少しお付き合いください。
自己意識(自我)は実は存在しない
今回は、思いっきり「悟り」や「ノンデュアリティ(非二元)」視点での話なので、さらにここから非常に抽象的でわかりにくい話になってきますが。。
LOA*1も悟りも、詰まるところは同じなんですが、
悟りの話では、自分が「自分」だと思っているものは、「自分」ではないと言います。
自分が「自分」だと思っている「自分」とは一体何でしょうか。
私は〇〇
〇〇に入るものは、「ステータス」だったり「役割」「肩書」だったり
自分を自分たらしめるもの。
ここでそのように言われる「自分」はおそらく、自己意識(自我)のことを言っており、
前にも書きましたが、悟りとは簡単に言うと、この自己意識(自我)に気付き、それを落とす、または薄く(小さく)することにあります。
なので、悟りのお話で、
「私はいない。」
とよく言われるのは、
本来「私」だと思っている私はいないということなのです。
ここでいう「私」とは自我からみた私のことなのです。
自我からしてみたら、一体何のこっちゃって感じですよね。
え?私はいない?は?どういうこと?
となりますが、とりあえず話を進めます。
過去のイメージや、現れては消えてく思考、感情、感覚や、それらの判断による「自分」は、本来の自分ではない。
じゃぁ「本来の自分」とは何なのか、という話ですが、
それは、前の記事ので使った図↓のこの右側の空間…みたいな感じが近いかもです。
この図の右の空間は、さきほど書いた、
禅でいう「空」や、
量子力学でいう、「量子波(クォンタム・ウェーブ)」、
前回のタロット&オラクルカードの記事で書いた「アカシックレコード」
というものも、同じものと言われてたりします。
この辺は目に見えない範囲で、検証が難しいので、結局は、自分の感覚や「経験」等でわかるしかないと思われます。
私もつい先日「おや?」という体験をしたのですが、一瞬でもとに戻りました。笑(このことについては記事にできたらと思いましたが、一瞬すぎて記事にならなかった…笑)
「ノンデュアリティ(非二元)」では「観照意識」とも言われますが、これらの話の中では、これが、本当の「私」ということになります。
引き寄せ(LOA)では「源(ソース)」などと言われてますね。宗教とかだと「神様」とも。人によってそれぞれこれらの言い方は異なりますけど、ほとんど同義だと思います。
自我目線だとかなりぶっとんだ話ですが、記事の冒頭から書いてる、これらの共通思想「全ては1つ」=(あなたもわたしもいない)という話の流れはこういうことからきてます。
つまり、この図の右の部分、「全体性」から分離するものが、自己意識「自我」なのです。
自己意識(自我)を薄くしたり、小さくしたり、完全にそのようになると、今まであったのに気付かなかったこれらに気付く。「本当の自分」に気付くというわけです。
以前の記事にも書きましたが、「悟り」とは、そのような場所へたどり着くものでもなく、まさにただ「気づく」ことなので、なかなか言葉による説明は理解が難しいです。。
このあたりの話を、もしもっと深く知りたい!場合は、気づきを「経験」されたような、覚者やグルと呼ばれる方の話や本を読んだ方がいいと思うので、ここでは割愛。
とりあえず今回は、自分の整理をすることにあるので。笑
理解を深めるには
要するに、最初から言っているとおり、「あなた」も「わたし」もいなく、内側も外側もない。結局は「全ては1つ」なんだということなんですけど、
そんなふうに感じられないのは、このもって生まれた「自我」によるもののようです。
元々は1つだったのに、1つに感じられなくなってしまった。
主体と客体、「わたし」「あなた」という分離の意識も自我による特性のひとつですので、
誕生した赤ちゃんから大人になるまでの間に「自我」=「思考」はすくすくと育ち、本来繋がっているものが見えなくなってしまった。
なので、「自我」=「思考」にはなかなか理解できないのも仕方がないようです。
「すべては1つ」を頭だけで理解しようとしたり、これらの話(「悟り」や「覚醒」「目覚め」「非二元」)を自我の目線で理解しようとすると、自我はパニくり、考えても自我には到底わかるはずもなく。。。笑
まぁでも、過去の偉人や覚者と呼ばれるような人のお話を聞いただけで、または悟りや覚醒系の本を読んだだけで、すぐ腑に落ちてしまう人もいますが……(羨ましい…)
自我(思考)は理解したがりだから、「悟ろう」とすること自体がもう自我によるものであり、みようとすればみえないので、自分の右手を右手で触れられないようなもどかしさがありますが、
なので、理解というか、そういうものがあるんだ、と気づくだけで良いそうです。
まるでルビンの壺のようですね。
「ルビンの壺」とは、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが1915年に考案した図地反転図形のことです。
これは、認知心理学の「図と地の分化(分離)」をわかりやすく示した図で、
要するに、壺が「図」として認識されるとその形が知覚され、その他の部分は「地」、背景としか知覚されず、2人の顔が「図」として認識されるときは、その他の部分は「地」になり背景としてしか知覚されないという、図と地の分化によって初めて形を知覚するということですが、
この壺を見ようとすると顔が消え、顔をみようとすると壺が消える現象は、まさに、この一連の悟りの話のことみたいで面白いです。
また、この手の話がどうもよく理解ができなくても、「引き寄せの法則」関連の本などから徐々に真理を伝えていくわかりやすそうなものを、少しずつ理解しながらみていくというのものも、最終的には原理は同じなので、そういうアプローチ方法もありだと思います。
「引き寄せの法則」本は誤解も多いので注意もあるのですが。
その辺(悟りと引き寄せの関連)についてもちょっと書ていたのですが、長くなりましたので次回に分けました。笑
続き↓
しかし、悟り系の本は、「悩み」とは一体なんだったのかわからなくなりますね。。
「悩み」の根本がどこかに消えるというか。
「悟り」観点からみると、そもそも「悩み」というのは幻という捉え方をするので当たり前といっちゃ当たり前ですが。
私は文才もなく全然言葉でうまく説明できませんが、この一連の話はつまり「引き寄せの法則」の根本的な話みたいなものなので、これがわかると、LOAの似たような本たちはもう読まなくてよくなると思うのです。
*1:Law of Attraction(引き寄せの法則)の略