花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

久々の更新ですが、今日はただの日記。

日本三大随筆の「徒然草」は有名なので知っていましたが、
兼好法師(吉田兼好)の徒然草のこの一文の意味をちゃんと知ったのは、実は最近でした。

古文があまり得意でなかった学生当時の私はそんなに気にとめていなかった「徒然草」ですが、大人になってから情緒を感じたので、日記に残しておこうと思いました。

続きの文をちょぴっと紹介しますと、

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
雨に向かいて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

現代語訳は

花は満開のときだけを、月は曇りがないのだけを見るものだろうか。
(いや、そうではない。)

降っている雨に向かって、見えない月のことを想ったり、簾を垂らして(部屋に籠って)春の移り行くのを知らないでいるのも趣深い。今にも咲きそうな梢や花が散ってしおれている庭にこそ見るべきところが多い(価値がある)

この文章だけでも、兼好法師がとても情緒ある方だというのがわかりますねぇ。

 

さらに兼好法師は、何事も最初と最後に趣があるものだと言っています。

例えば恋愛に関して言えば、

恋愛が盛り上がっている時だけを情緒があるとは限らず、逢わずに終わった恋の辛さを想ったりするのも、儚い逢瀬を嘆いて、遠く離れた恋人のことを想って長い夜を1人で明かしているのも、昔の恋を思い出して懐かしむのも、それこそが、恋愛の情趣を理解すると言ってます。

なかなかに、趣深い。兼好さん自身にもそんな経験があったのかなぁ。とか思ったりして。笑
これも最初の、満開(全盛期)の時だけが良いってわけじゃないよ、というのと同じ趣旨ですね。

 

お花見に行って満開じゃなかったとき、つい「満開じゃないねぇ」と残念がってしまうかもですが、兼好さんは、「いやいや、そんなことないよ。」と物事の見落とされがちな側面を拾い上げる視点を持っていたんだなぁと、思わずにはいられない文でした。
紅葉だって、何も真っ赤が最良ではなく、緑から黄色、オレンジ、赤へと変わるグラデーションが美しかったりしますしね。

 

私は、こういう何かの作品に触れるとき、それを生み出した人は一体どんな人なんだろう、というのをよく考えてしまうのですが、兼好法師は、本名は卜部兼好と言って、その苗字の通り、占いで朝廷に仕えた名家の三男に生まれて、父親も吉田神社の神職をしており、THE・神職の家系のようでした。

つい、兼好法師の出生図を見たくなってしまいますが、兼好法師は鎌倉時代末期の動乱期に生きてた方で、やはり生年月日は記録には残ってないようです。
ただ、一説によると1283年(弘安6年)に生まれたとされているようで、1283年というと、偶然にも今と同じ、冥王星山羊座時代です。まぁ734年前なので、冥王星はこの頃から約3周もしてますが(^^;)兼好さんが生まれた3年後に冥王星は水瓶座に移動してます。

ちなみに鎌倉が滅亡した翌年(建武元年)は、冥王星がちょうど牡羊座に入ったくらいなので、天王星や、海王星、冥王星のような動きの遅い星は、時代の流れが変わるときに絡んでるんだなぁと、兼好法師の話から占星術の話まで広がった今日この頃でした。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる