スピ系の矛盾と悩みの正体

月は変わりましたが、連続で性懲りもなく、わかりづらい系記事が続きます。笑

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この間に色々思うことや書きたいことあったのですが、とりあえず、この2つの記事と今回の記事は元々は1つの記事で書いてたので、一応最後まで書きます。

目次

引き寄せやスピ系本によくある矛盾と疑問

ここまで、悟りだとか、引き寄せだとか、なんだか雲をつかむような話を、自分なりに理解しようとたくさんまとめてきましたが、
こういうお話には、昔から「矛盾」と思われることが多々ありました。

細かく言えば色々あるんですが、

 

例えば、

前回の二元論のような

「全てはある」
「全てはない」

とか

「修行しろ」と言ったと思えば、「そのままでいいんだよ」と言ったりとか……

どっちだよ??

とか思ってました。

 

前回にもありますが、結局、スピ系が「胡散臭い」ってなるのは、自我による納得できないから、「胡散臭い」「怪しい」ってなるんですよね。

 

で、この矛盾が発生する仕組みなんですが、

「言葉」というものは物事のある側面を切り取るものなので、

1つの同じものを別の人が言葉で説明するとき、

捉え方や理解の仕方が人それぞれ違うので、当然説明の仕方がそれぞれ違くなる。

聞いてる方も、その言葉から、それぞれ推測し、理解するので、そこに差異が生じる。

例えば、この図、〇と■で一見同じものには思えませんが、

立体的に見た場合、正面から見たのと、上から見た違いだっただけで、元は同じものを示しており、

f:id:leon8:20170701204744j:plain

 

ただの「捉え方の違い」だった、ということになります。

 

上の例えで言うと、

修行しろ、というのは、
自我の作用を見抜く、というような意味の話、

対して

そのままでよい、というのは、
自我でおおわれていたものを取り払った姿の話

といったような感じで、両方は結局は同じことを指しており、意味は同じです。

 

この説明する対象が、もっと明確にわかりやすければいいけれど、そうでもない上に、「言葉」によって切り取って説明してるので、誤解や矛盾が生じてるんじゃないかという説です。

 

なので、スピ系で「矛盾」を感じたら、チャンス!と思って、その意味を別角度から捉えなおしてみる、という試みはいいかもしれません。

 

私は頭がカッチカチなので、いつも物事を一側面しか捉えられないこと多々ありますが・・・(^ ^;
(まぁ前よりは少しマシになったような気がしますが。。笑)

 

悩みはなくなる?

ここで、最近読んだ「ノンデュアリティ」系の本の中の文章を一部引用したいと思いますが、

 

 

なぜ波をコントロールできないのか?なぜ望ましくない波が現れるのか?
それは、この二元性の世界においては、相反するものは必ず一緒に出現することになっているからだ。
この事実を理解することも、とても重要だ。
私たちが体験することは、完全に均衡が取れている。
美しさがあれば、必ず醜さがある。成功があれば、必ず失敗がある。悟りを得ることがあれば、悟っていないことが必ず存在する。愛されることがあれば、愛されないことが必ず存在する。
世の中とはそういうものであり、それが問題にはならない。
人がそのあるがままに闘いを挑み、人生の均衡に歯向かって初めて問題となるのだ。

引用:JEFF FOSTER/「THE DEEPEST ACCEPTANCE」 P123

 

全ては世界の均衡を保つために、そのように二元性として表れているのであって、本来は一緒(同じ)のものだった。

ここでも、前回までの話に繋がります。

 

これは前々回の最初の方に書いた記事でも書いてますが、

「本来は分離してなく、元々はすべて1つ」

なのに、じゃあ、なんで物事は分かれているの?の解でもあります。

 

それは

ある状態を知るためには、それと相反する状態を知らなければ、それに気が付けないからです。

「ある」がわかるには「ない」を知らないと「ある」ということを認識ができない。

例えば、ずーーっと暗闇な状態しか知らなかったら、それはそれが「暗闇」だとはわかりません。

「光」を知っているから、初めて、これが「闇」なんだとわかる。

 

プラスがなければ、マイナスがないように、不幸を知らなければ、幸せもわからない。

嬉しさや楽しみを知るためには、悲しみや辛さといったものが必要なんですね。。

 

つまり、どっちも必要不可欠ということのようです。

 

なので、物事には常に二面性が潜んでいる。

だから、不安も恐怖などといったネガティブな要素は、その反対にあるポジティブな要素に気が付けるものなので、「要らないもの」ではないです。

私は長らく、このことがわかっていなくて、自分の中に同居する相反する思考と感情を認めることができなくて、そのことに自分自身ずっと苦しめられていた時期がありました。

でも、

マイナスな感情も、プラスな感情も、もともとは1つなんだとわかると

2つを両方とも否定しなくなり、それだけでも、かなり楽になりました。

 

2つを別々のものなんだと、自分で分離して、矛盾して、そうして自分で勝手に分離したものに、自分で勝手に苦しんでいただけだったんだとわかると滑稽で笑えます。

 

「悲恋ストーリー」ものや「悲劇のヒロイン」ものが大好きな人が、自分がそのように思ってなくても、無意識のうちにそのようなものを引き寄せて、勝手に嘆いているのと似てます。

 

私はまさにそれでした。笑

しかし、これが「自我(エゴ)」特有な作用だと知ると、

じゃぁ、人の悩みって、今まで生きてきたなかでの「常識」や「観念」といったもの、つまり自我が勝手に生み出してるだけなのか。

それに対して、「思考」つまり自我が「あーでもない」「こーでもない」と勝手にわめき騒いでいる。

そしてそれに付随して「感情」というものが勝手に反応する。

 

そういう解釈なんですよね、悟りのお話って。

 

もしそうなんだとしたら、

こんな壮大な自作自演ないですよ。。

 

だからブッタは全ては「空」だと悟ったら(悩みは自我が生み出した虚構だと知ったら)悩みなくなったと言っていたのか。。となりますね。笑

全ては「あるがまま」でよい

悟りをはじめとしたこういう教えは全て、分離したありとあらゆる複雑なものを1つに、つまり、「ゼロ」に戻すような導きが多いです。

 

全ては「あるがまま」でいいというのも、

本当によく言われていることですが、「あるがまま」というのは、これらの流れを踏まえると、プラスでもマイナスでもない、ただ、「ゼロ」であるという意味の1つなのかな、と。

 

 

↑ロシアの元量子物理学者のヴァジム・ゼランドの著書でも、「過剰ポテンシャル」という用語がありましたが、願望に過剰にバイアスがかかると、宇宙が均衡を保つために元に戻そうとするという働きだったと思いますが、まさにこれと同じこと言ってますよね。

 

「あるがまま」とは、自分と世界に境界がない、宇宙と繋がっている状態。

その状態は今まで散々説明に出てきた

「空」であったり

はたまた、ここでいう「ゼロ」であったり

自我による埃を払うと気付くこと、のことを言っているような気がします。

生まれたとき(赤ちゃんのとき)は誰しもみんな「あるがまま」の状態で。

本来はあるがままなのに、それを「あるがまま」にしていないのは、何か。

ここまで来ると、さすがにもう書く必要ないと思いますが。。

んんんー

でも自我自体が人間に生まれついて備わった機能なのでね。。。笑

そうすると当然疑問が出てきます。

じゃぁ、そもそも、

そんな「あるがまま」ではなく、「分離」や「苦悩」を自ら生み出す

「自我」って一体全体何のために生まれたのよ?

 

って話になりますよね。。

というわけで、そろそろ「自我」について自分が理解したことを、改めてちゃんと記事にまとめたい今日この頃です。笑

と、いうことで

 

またしてもまとまってないのに無駄に長くなってしまった。。笑
というか、今回の記事だけでも長いのに、前回までの3記事を1つの記事にしようとしてたのか自分。。笑
ここまでお読みいただき、ありがとうございます…!

 

ますます「自我」を持つ「人」そして「意識」、しいては、それと分離できない「世界」「宇宙」そのものに、改めて興味津々になるのでした。笑

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