自由意志と宿命論(占術)の関係について考えてみた。

 

最近もっぱら考えてることなのですが、

よく占いとかで個人を鑑定するとき、占いには命占(命術)*1と、卜占(卜述)*2いうものがあり、人の生まれ持った運勢を判断するときは命術の方をよく使うと思うんですけど、

 

最近、東洋と西洋の占術や、心理学、自己啓発(成功哲学&スピ&引き寄せ)系の本とか色々と勉強してて思うのだが、

 

「生まれ持ったもの」というものがありつつも、そこに「自由意志」はあるのか、という話。

 

大変興味深いな、と思う。

そのことに関しては、以下のケヴィン・バーク著の西洋占星術を記した本でも言及していたのですが(以下抜粋)、

「占星術も他の占いも、明らかに宿命と予定説の立場にあると常に思われている。仮に私たちが実際に自由意志を持っているなら、人々はいかにして未来を予言することができるというのか?」

「もし自分自身のために選択することができる真の自由があるなら、自分が誰であるかを出生チャートはどのようにして示すことができるのだろう?」

 

引用:「占星術完全ガイド」P.38

上記の問に対し、自ら以下のように答えている。

 

「わたしたちは絶対的な自由意志を持っている。しかしながら、わたしたちはそれを用いることはほとんどない。」

「もしわたしたちが出来事の流れに単に身を任せているなら、宇宙のエネルギーがどのように流れていき、そしてその結果どのような事態が起こり得るかを示すことになる。けれども、質問を訪ねる個人は絶対的自由意志を持っているがゆえに、出来事の中で自分個人の役割を変えることによって、最終的な結果へと大きな影響を与えることもできる。」

「誕生チャートは人生のまさしく出発点であり鋳型であるが、私たちはそれによって限界づけられてしまうわけではまったくない(そう考えてしまうと、それは宿命論的なアプローチとなるだろう)。その代わりに、絶対的な自由意志に近づいていくことによってのみ、私たちは自分自身を制御できるようになるのである」

引用:「占星術完全ガイド」P.38-39

この後、本の内容は「ではいかにして占星術は作用するのか」と続くのですが、

 

この上記の解答に対して、
「私たちに自由意志はない」「絶対的自由意志という言葉はインチキ教祖の言葉」「純然たる不幸に意味などない」

という意見などもありました。

 

今回私は、これを色んな側面から考えてみたいと思う。

「引き寄せの法則」の手段として使われる、アファメーション系ものは、この観点からすると、どのようにみたらいいのか。これらの側面からみた「自由意志」とは一体なんなのか。

 

「自由意志はありません」と言われると、「そんなことないでしょ」と言いたくなりますが、

でも確かに、星の事象などが的確に個人のことを言い表している事象と実際の事柄が一致した場面では、星の影響ってあるなぁと思ったりします。

個人的な体験ですが、占星術を知る前まで、ずっと「これは一体なんなの?!?!」と、言葉では説明できなかったものが、星ではっきり証明されていたときに、ぞっとしたという経験もあったりして、抗えないものも確かにあるんだな…とも思ったり。

 

哲学的、科学的な知見で聞くところによると、厳密にはそもそも人間に「自由意志」なんてものは無いらしいけど。。(自分が選択するよりも前に脳が選んでいるとかいう話)

 

そういうのも含めて、「自分の意志で進んでいると思ってたことが、未知なるもの(星)で表されていたことだった」ことから考えると、

確かに、「自由意志ってなんだろ…」と思うところもあります。

今回私がみた「自由意志は少ない」と言う意見の方は、どうやら、不幸のなかで「絶対的自由意志」などを掲げるカルト宗教的なものに心を傾倒しないように、という懸念があるような感じでした。

だから「不幸」の意味など問いただしてはいけないのだと。理由がないから救われるのだと。

なるほど。確かに、思慮深い人だったり、考えすぎちゃう人とかって、精神性が高い人も多いので、「思想」なども使い方によっちゃある意味危険になりうる可能性もあるので、本当紙一重ではあるんだよな~とも思う。

 

なのでまぁ、これも一理あるな、と思ったり。

 

話を戻して、

 

しかし、ケヴィン・バーグが書いた「自由意志」(本から私が捉えた文脈の「自由意志」)の意味って、何もそういう側面のことだけを言っているのか。というところなんだよな。

 

特に、東洋の占術(四柱推命や紫微斗数などの命理で吉凶を表す占術)は吉凶がはっきりしているので、

 

「あなたは、人生生まれつき凶です」って言われて、それで終わりではなく、

「じゃぁ、どうしたらいいのか」ってことを知りたい人って結構多い。(私もだが)

まぁ、占いはあくまで結果であって、それを知ってその後「どうするのか」を実行するのは、他ではないもちろん自分自身ですけどね。

 

そういう意味でいう、アファメーションとかに使われるようなものは、その本質を理解していけば、個人的は結構、能動的でポジティブなものに感じました。
だって、自分で自分を変えていける(現実-未来志向)の方が、夢があるな、と。笑

なので、有効性を感じるのであれば、個人のレベルで自分の人生に活用していっていいと私は思うけどな。。

これは「自由意志」とはまた違うことなのかなぁ?

 

あ、ちなみに東洋の占術を否定してるわけではないです(むしろ今勉強してるとこだし)
曖昧模糊な判断で、結局どっちなのよ??っていうときには、吉凶が明確で鋭い方が良いこともあるので。

ただ、どうして(原因)より、じゃあどうしていくのか(目的)ってのが大事だな、と常日頃思うわけで。

この辺はなんかちょっとアドラーっぽいですが。笑

 

このあたりが、自由意志を完全否定するのもまた何か違うんじゃないかと思う理由でもあります。

何をもって「自由意志」とするのか。

 

そして、この記事を1週間前に書き始めてから、最近、また1つ思いついたのですが、「自由意志」っていうのは、もしかしたら「つかみ取る運」なのか?とも、ふと思ったり。

 

出生図に表されるような運勢が、先天的な運だとしたら、自由意志は、後天的な運。

 

自らがつかみ取る、引き寄せる、たぐり寄せる運勢、的な。ことなんだろうか。

 

わからないけれど。。。笑

とりあえず、先天的であれ後天的であれ、自らが楽しいと感じ、自分も、そしてみんなも幸せになれるものを自らの意志で選びとれるのが一番良いのではないかとも思うのだが

 

「そんなことできたら苦労しないよ」とか、「自ら選びとるのが難しいと感じるから、宿命とされてるんじゃない!」なんて言われたら、水掛け論というか、議論は終わりそうにないけど。。笑

 

よって、この「自由意志と宿命論」問題は、突き詰めるとわりと深く、これからも考えていきそうな命題でもあります。

 

でもただ単純に、みんなが楽しく人生(今)を生きれたらいいな、ということに最終的に帰結するのだとしたら、宿命論だろうが自由意志だろうが、たどり着きたい場所(目的)は一緒なんだよなぁと思ったり。笑

 

そのために占星術などをはじめとした、目に見えない事象や理を研究されてきた学問などがあるんじゃないか、と思う今日この頃でした。

 

 

続編↓

*1:生年月日や場所など、生まれたときに定められた不変的な情報を元に運勢を読み解く占術方法(西洋占星術や四柱推命など)

*2:偶然性に表れた象徴を用いて事柄の成り行きを占う占術方法(タロットや易など)

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